天地陰陽ー人が鬼になるとき「その心の中にあるもの」

私の大好きな陰陽師の小説には
よく鬼になった人が出てきます。

そういえば能の演目にも
「鬼」が登場するものが多くありますね。

貴船神社の丑の刻参りのお話
「鉄輪-かなわ-」

有名な「葵上」
光源氏に捨てられた六条御息所が
嫉妬と憎しみのあまり
鬼となってしまう話です。

さて
「鬼滅の刃」もそうですが
日本人の考える「鬼」とは

決して絶対的な悪者や
悪の象徴などではなくて

なぜか悲しい存在です。

角が生えて虎のパンツをはいた
赤鬼や青鬼というのは

あくまでもキャタクターで

本来の「鬼」というのは
人の「怒り」と「悲しみ」を
表したものなのです。

怒りだけでも鬼になりませんし
悲しみだけでも鬼になりません。

「怒り」と「悲しみ」が合わさると
それが「恨み」や「憎しみ」にかわり

人は「鬼」になるのです。

「木」は怒、「金」は悲

「木火土金水」の五行には
「五志」と呼ばれる感情があり

そのなかで
「木」は怒りをあらわし
「金」は悲しみをあらわします

深い悲しみに傷つき
激しい怒りに苛まれたとき…

そんな時に
心に「鬼」が現れるのです。

ですが
「木」は怒りと同時に
もあらわし

「金」は悲しみと同時に
慈悲心もあらわします

どんな怒りや悲しみを持っても
愛と慈しみの心があれば
鬼にはならない
のです。

そう思うと
鬼になってしまった人は
可哀想ではあるけれども

自分にも人を愛する心や
他を慈しむ心がなかった
のでしょうね。


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