自分が認識するから「そこにある」
インド哲学には、
この世界を形づくる五大要素と、
それに加え
“識”という概念があります。
※五大要素と五行説は別のものですが
その思想はよく似ています。
この世界は「地・水・火・風・空」の
五つの気により形づくられますが、
それを“識=認識する”私たちがあって、
初めて“現実”のものとなります。
「なんだか難しい」と思われるかもしれませんが、
識の言わんとすることは、
私たちのごく身近な日常生活にもあります。
電車に乗ったり、買い物に行ったり、
私たちは毎日たくさんの人と
すれ違っているハズですが、
そのほとんどの人の顔は浮かばないでしょう。
100人とすれ違っても、
私に“識”がなければ、
その人々は私の世界に存在しません。
例えば秋に、どんなにキンモクセイが香っても
「あーいい匂いだな」と意識しなければ(臭いでもいいですが)
その人の世界にキンモクセイという木は存在しないのです。
全ては、“識”があって初めて
現実のものになるのです。
そして、“識”がどうあるかで、
“真実”もまた違ってきます。
目の前の状況をどう捉えるか・・・
真実というのは万人に絶対としてあるのではありません。
五大要素が織りなす世界は、
その人の“識”しだいで
いかようにも模様は変わるのです。
こんな話があります。
あるとき高校生の女の子が、
駅から自宅へ帰ろうとすると
自転車のサドルが盗まれていました。
「クラブで疲れてるのに、、、もぅ!なんでよ!」と腹を立て、
40分の道のりをプンプン歩いて帰りました。
家に着くともうクタクタで情けなくなり、
「なんで私ばっかり」
「もう最悪!」と母親に愚痴を言っていたそうです。
しばらくして、今度は妹が、
大笑いをしながら帰ってきました。
すると妹もサドルを盗まれたけれど、
そのまま「立ちこぎで帰ってきた」と・・・
途中で太ももがプルプルしてきたので、
少しおしりを下ろすと
棒がささって「痛~~ッ!」
「痔になるっちゅーねん!」と
“一人つっこみ”をしながら
大笑いで帰ってきたんだそうです。
人はみんな、様々な状況の中で、
いろんな想いを抱いて過ごしているでしょう。
ですが、それが自分の“識”しだいで
いかようにも変わるものなら
幸せも不幸せも、
本当は存在しないのかもしれませんね。
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